■リサイクルシステムの立ち上げ
 私は2001年5月までの2年間PETボトルリサイクル推進協議会の会長を務め、業界各社を始め多くの関係者の方々と共にPETボトルのリサイクルに努力をしてきました。私の任期以前のことも多少入りますが、1度ここでPETボトルリサイクルの状況を振り返ってみたいと思います。
 PETボトルが容器包装リサイクル法の対象となり、施行されてから2001年で5年目になります。法施行の初年度である1997年にはPETボトルの収集量を少な目に予測したにもかかわらず、実際にはそれよりも下回り、非常に少ない収集量に終始しました。これはスタートしたばかりのリサイクルシステムにとって大きな問題であり、特に再商品化業者にとっては死活問題でした。その当時はリサイクルシステムの確立のために当推進協議会も共同設立者となっていたので大変慌てたものでした。全国の自治体に状況を確認し、更には技術的支援だけではなく、経営的支援も推進協議会を構成する団体と協議をして行なうなど、懸命のバックアップをして、それこそ痩せる思いで何とか乗り切ったものでした。
 2年目の1998年はそれまでの活動が報われ、分別収集を開始した市町村数も倍増し、自治体担当の熱意も浸透してきてPETボトルの分別収集品が集まり始めました。一息いれかけた3年目の1999年のこと、新規の自治体を筆頭に年初から前年比200%近い収集量となりました。そのため処理しきれないところが出てきて「受け取り拒否、自治体保管」という事態が首都圏の一部にも発生しました。大量に積み上げられたベールの映像がテレビ・新聞・雑誌で取り上げられ、「ミスマッチ」と問題視されました。マスコミからはシステム自体の問題だとまで指摘され、世間の関心を集めました。再商品化工場の頑張りによって年度末になると保管量は収集量のわずか3.4%と少量になりましたが、そういう事実はほとんど報道されることなく、問題だけが一人歩きして国会にまで取り上げられ困りました。
■再生処理工場の拡大と回収率アップ
 そんな状況であっても、集まらなかった1年目のことを思えば嬉しい誤算と言え、「品質の良いベールさえ集まれば、容器包装リサイクル法に基づくリサイクルシステムは構築される」との確信のもと、すでに進めていた再商品化工場の新設・増設を急ぎました。
 その甲斐があって翌12年度もさらに収集量は急増し、前年度実績55,000トン/年が73,000トン/年の契約量に跳ね上がり、最終的には96,000トン/年余りの実績になりました。あわや「ミスマッチ」の再発かと危ぶむ声もありましたが、フル稼働・フル出勤という再商品化工場の頑張りによって、全量を引取り残さず再商品化を果たすことができました。
■順調に推移してきたリサイクルシステム
 これには全国の消費者・自治体・(財)容器包装リサイクル協会の協力・活躍があったことはいうまでもありません。回収率も2000年度は34.5%と急上昇し、先輩格の欧米の20%〜25%と同等以上のレベルになってきました。当然のことながら法律に基づき業界各社も義務として多額の再商品化費用を負担しており、本年度は業界全体で約130億円、来年度はより以上に増加するものと予測しています。現在 PET生産量も収集量も急上昇しています。回収実施市町村数も1997年度の631から2000年度は2,340と目覚ましい増え方をしています。急ピッチで変化しつつある過渡期の成果としては、非常に順調に推移していると言えるのではないでしょうか。今後も引き続きPETボトルリサイクルの推進に当たって、リサイクル率の向上(2004年:50%以上)、収集されたPETボトルの全量引取りと再商品化およびボトルtoボトルの早期実現に取組んでいきたいと思っています。
PETボトルのリサイクルを振り返って|新しいリサイクル手法自主設計ガイドラインの変遷