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■市民と行政が一体となって |
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戦後高度成長期の中、水俣病という公害の大きな傷を受け、市民の健康被害や環境破壊のみならず、地域社会のコミュニティまでズタズタにされた人口約3万2千人の水俣市。その水俣病を教訓に、市民と行政が一体となって新生水俣市を目指すため、1992年「環境モデル都市づくり宣言」を行いました。市民がごみの適正な処理に携わることにより環境問題への取組みが始まるという考え方から、翌1993年よりごみ資源の20分別収集を開始しました。現在では23分別にまでなりましたが、ただ多分別なだけではなく、徹底した分別排出を実施することによってPETボトルを始めとする全ての資源物の品質レベルが高く、「水俣ブランド」と呼ばれ全国的に注目されています。 |
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