
特集 PETボトルリサイクルの30年
PETボトルは1977年にしょうゆボトルに採用され、1982年から食品衛生法の改正により、清涼飲料用に使用が認められました。同年、PETボトルの製造およびその原料樹脂を供給する業界団体としてPETボトル協議会を設立し、リサイクルの調査を開始。具体的にリサイクルに取り組むために1993年、飲料、しょうゆ、酒類の中身メーカーと一体となったPETボトルリサイクル推進協議会を設立し業界団体としてリサイクルを推進する体制が整いました。
1980年代から家庭で排出される一般廃棄物の量が増大し、最終処分場のひっ迫など廃棄物処分の問題が年々深刻化するとともに、消費者のリサイクルに対する関心も高まっていたことにも後押しされました。
1993年、使用済みPETボトルの回収量の増加にともない、その受け皿となる再生処理(リサイクル)工場の処理能力不足に対応し、大規模リサイクル工場として栃木県に「ウィズペットボトルリサイクル(株)」が稼働。PETボトルのリサイクルが幕開けしました。
次いで三重県に「よのペットボトルリサイクル(株)」、1998年に福岡県「西日本ペットボトルリサイクル(株)」が稼働しました。その後さらに、国内で数十の再生処理事業者(リサイクラー)が指定法人の委託を受けて、市町村が回収したPETボトルのリサイクルを開始しました。
当会の設立当時、PETボトルは焼却や、埋め立てられていました。ごみから資源に消費者の意識を変え、また収集・運搬など行動を変えていくために実際の自治体収集の現場では大変なご苦労がありました。まだリサイクルという概念の認知度が低く、「飲んだ後のPETボトルを分別して何になるの?」「全部燃えるごみで出せば簡単じゃないの?」といった市民の皆さまの声が多かった時代です。
例えば浜松市では、1996年から市民への分別収集の啓発として700回以上の説明会を実施するとともに、人口約57万人のうち外国人登録者数が1.5万人を超える状態であり、ポルトガル語、スペイン語、英語の3か国語の広報誌を用意するなど、周到な準備が行われました。
大阪市では「とにかく、空き缶、空きびん、PETボトルを一緒に家の前に出してください。あとは大阪市がやります!」というスローガンを掲げ、1997年10月より資源ごみの分別収集を開始しました。「二週間に一度、普通ごみと同じように各家庭の前に出す」という手軽さにより、市民の皆さまのご協力を得ることができましたが、行政の皆さまの血のにじむようなご努力があったことは言うまでもありません。