
2001年に「PETボトルリサイクル年次報告書」を発行して今回で20号目。現在、世界最高水準にあるリサイクルを達成するための屋台骨を創った3名の方にインタビューしました。” ローマは一日にして成らず”。
今、改めてPETボトルの価値が問われています。先人の熱き情熱を引き継ぎ、新たな一歩につなげていきましょう。
年次報告書の第1号を発行した2001~2002年および2005年の会長を務めた和田國男さん。ゼロからスタートしたリサイクルは2000年には34.5%にまで急拡大しており、順調な成果を多くの方々へ広報することが狙いでした。
2001年4月に指定PETボトルの自主設計ガイドラインを改訂しましたが、このポイントが着色ボトルの廃止です。リサイクル性を高めることができましたが、中身保持のための着色であり、当時はPETボトルの製造の技術が今のように高くはなく、さまざまな苦労があったと思います。業界全体の目標に向かって動きました。
また2005年に8素材それぞれの取り組みを推進する3R推進団体連絡会が発足し、その記者会見の代表もやっていました。アルミ、スチール、びんなどは以前から回収しリサイクルする流れがありましたが、PETボトルは違います。経済団体連合会から支援を受け事情は異なるものの八団体が一枚岩で容器包装リサイクル法の成果を発表することができました。
PETボトルが順調にリサイクル率を上げ、リデュースを進めているのは、PETボトルリサイクル推進協議会がPETボトルの素材と容器で構成するPETボトル協議会と全国清涼飲料連合会など指定PETボトルを利用する中身メーカーの団体で構成し、自分たちの業界にのみ有利に働くことなく、バランスを保ちながら常識的な判断で課題に取り組んだことが大きいと思います。それぞれの立場ではなく3R推進のために取り組んだのです。
今、海洋プラスチック問題で注目されるPETボトルについてですが、以前より心ない方のポイ捨てが大きな原因だと思っています。限りある資源を確実に回収し、リサイクルして欲しいものだと思います。
1974年PET樹脂と出会い、現在までPETボトルに関わっている豊田保さん。容器包装リサイクル法の第1回目の見直し審議の真っ只中、2004年の会長です。
PETボトルは軽くて丈夫、中身も見えて再栓性もある優れた容器で、発売前から「必ず売れる!」という手ごたえと、「優れたものは消費者に選ばれる」という弊社の哲学ともいうべき考えのなか、その責任者として1977年日本で初めてPETボトル(醤油)を製造し、米国での事業化、その後、世界に先駆けてホットパック用の耐熱ボトルを開発し、ジュースやお茶などの清涼飲料や調味料などに多く使用され、今、世界に広がっています。
一方で、世に出ていった後は社会的なインフラが整備できないと支持されないとも考えていました。その基盤が容器包装リサイクル法であり、私が会長を務めた2004年は、動きはじめた容器包装リサイクル法の第1回の見直し審議の時でした。私たちは、容器包装リサイクル法におけるPETボトルリサイクル推進協議会の責任、各ステークホルダーとの連携のあり方など、全国清涼飲料工業会(当時)、ボトルメーカー、事務局含め連日遅くまで、そして合宿形式も含め議論したことを思い出します。その議論があったからこそ業界の意見として進言できたものと思います。

2020年8月にプラスチック資源循環を促進するため清涼飲料業界は東京都とボトルtoボトル東京プロジェクトの発表をされましたが、小池都知事が環境大臣であった頃、広報誌「RING」(2004年8月発行)で対談しています。PETボトルの軽量化の事例を説明した際に、大臣が「わざの部分は皆さんに担っていただいている」と言われました。我々事業者の絶え間ない努力、軽量化開発もリサイクル率の順調な伸びとともに日本の3Rを担っていると実感した次第です。
この時代、リサイクル率60%程度だったかと思いますが、2019年度では85.8%と世界最高水準となり、大変うれしく思っています。
PETボトルは優れた容器です。そして優れた商品は必ず使っていただける。環境問題から世の中で停滞することがないように、使い続けていただくためには何が必要か?これがPETボトルリサイクル推進協議会の永遠の課題です。技術的にもイノベーションによる課題解決を進め、業界発展のために垣根を越えた取り組みを今後も続けてほしいと考えています。
全国清涼飲料工業会(当時)の専務理事として2004~2008年、副会長を務めた大平惇さん。和田氏、豊田氏とともに容器包装リサイクル法の第1回改正に向けた審議会の参謀。EPR(拡大生産者責任)は日本には適さないと、断言します。
日本が世界最高レベルのリサイクル率を達成しているのは、欧米などと異なりゼロから資源循環のシステムを構築できたからです。家庭ごみと同様に市民が出したものを市町村が集める。PETボトルの場合はベール状にして保管するまでが市町村の役割であり、これを事業者責任においてリサイクルする資源循環の日本スタイルです。
1977年にしょうゆ容器として使用されて以降、回収と再商品化が課題であり、1993年に日本で最初の再商品化施設を業界が設立。これを契機に2019年現在、日本容器包装リサイクル協会への登録事業者は全国で51事業所までに広がっており、以前は燃やされたり、埋め立てられていたものが今は資源循環しています。
そもそも、PETボトルが登場した当時、悪者だとして消費者団体などから問題視されていました。私たちが一つひとつ問題を解決してきた結果、今のように存在価値を認められているのです。
今、欧州に端を発した海洋プラスチック問題が世界規模で広がっています。打開に向けてボトルtoボトルでワンウェイ容器でない、より高度なリサイクルへ舵が切られています。水平リサイクルとして、拡大していくことを期待しています。ただ、海洋プラスチックで考えると中国、東南アジアからの漂着も多く、これら地域で分別回収を進めていくために日本での成功体験の普及などにも取り組んでいければと思います。
最後に容器包装リサイクル法の改正検討が始まっています。コロナ禍で新しい価値観が出ている中、全国清涼飲料連合会のプラスチック資源循環宣言により行政との取り組みが加速、広がっているようです。今後にも期待しています。